太田洋愛 履歴

 
 

太田洋愛 履歴


明治43年9月30日 愛知県田原町に生まれる


昭和4年 愛知県立成章中学校卒業


               田原藩(家老・渡辺崋山が著名)の藩校・成章館を前進とする旧制県立中学校。現在の成章高等学


     校在学中 洋画家 細井文次郎氏に洋画を学ぶ


         同年 満州に渡り、奉天教育専門学校植物学教室にて、後年のハス博士・大賀一郎氏に師事、


         植物画の指導を受ける。


         大賀先生の紹介により、牧野富太郎博士から、ギロットの丸ペン、と牧野先生特製の面相筆、



        古梅園の三ツ星の墨、丸ペンの先をより鋭くするための油砥石など描画材料を贈られ指導を受ける。


贈られた画材により、満州すみれ図譜の刊行を目的にすみれの原画七十余種を描く。


                  この原画は、昭和6年に、大賀歌著「すみれ図譜第1輯」として発刊された。


         表題文字は牧野富太郎氏の筆による。


5年児童文学の石森延男氏(中学時代の国語の恩師)の紹介により、


南満州教育会教科書編集部に入部。理科教科書の挿絵を担当。


8年満州国政府招聘により文教部嘱託となり、国定教科書の挿絵主任となる。


13年 長倉婦美子と結婚 (28歳)


満州国の首都、新京(現中国東北地区・長春)に住む。


このころより油絵画家としての本格的プロ生活に入る。


満州画壇のなかで、個展活動、同人活動は勿論、満州国美術展覧会に作品発表をなす。


得意としていた人物画では、バルガの女(40号)により、安井曽太郎氏に認められる。


    

15年 長男 洋男(ひろお) 誕生  (生後まもなく死亡)


     満州国郵政総局の依嘱により記念切手の図案作成をなす。


       主なる作品・皇帝陛下御訪日記念切手


             建国十周年記念切手


             満州国赤十字社創立記念 など多数。


     恩賞局の依嘱により 建国神廟創建記念章の図案作成等をなす

    

政府の依頼により大陸科学院に派遣を命ぜられ、満州植物図鑑編集事業計画にたずさわり終戦間際


まで全満各地を旅し、七百数十種類の植物画を描きあげる。(敗戦のため幻の図鑑となる)。


この頃、植物研究官・北川政夫博士、北川研究所の助手、若き日の清水大典氏(後の冬虫夏草の権


威)、寺崎留吉氏らとの出会いがある。

  

 関東軍報道隊員となり数次従軍


   森繁久弥・報道担当、太田洋愛・挿画担当として共に各地をまわる。


20年 2月 次男 修平 誕生


同年 8月1日 陸軍衛生一等兵として応召。 (35歳)


    8月15日、終戦と共にソ連軍の捕虜となり中央アジアに抑留さる。


中央アジア・ウズベク共和国の炭鉱町アングレンで、鉄道、道路、護岸、建築、農業などの強制労


働に服す。


21年 8月 妻・婦美子、次男・修平 コロ島から広島県宇品に引き揚げ。 


23年 9月11日 ナホトカから舞鶴へ帰還 (38歳)


24年 東京大学教授、前川文夫氏の依頼により日本樹木図鑑の原画を描く


27年 画友 鶴田吾郎氏等と共に「日本山林美術協会」を結成、毎年1回、植物画の展覧会発表をなす


30年 このときより二カ年間、前川文夫氏の依頼により日本産・蘭科植物二百数種を描く。


     「原色日本のラン」として刊行さる。


32年 「日本理科美術協会」創立、 会員となる


33年 郵政省の依嘱により「郵便切手図案発行会委員」となる


この他 大日本図書出版、日本書籍、学校図書、などの理科教科書の植物画専門に挿絵を描く


    平凡社・世界大百科辞典、中学生百科辞典、児童百科辞典等、出版各社の植物の項の挿絵を担当

   

                    現代水墨画会員     出版美術家連盟会員


40年 日本の桜・図鑑出版を目的に、沖縄から千島まで、毎年春の桜前線を追って、8年間、1万7千


        キロに及ぶ桜を描く旅が始まる。


44年  新種・「太田桜」 発見  飛騨高山白川郷 本覚寺境内


45年 「日本ボタニカルアート協会」創立 (54歳)


人事院総裁・佐藤達夫氏の呼びかけで、二口義雄氏、藤島淳三氏、佐藤広喜氏、新沢朗氏らと共に


創立委員となる。 


47年 「おおたザクラ」、岐阜県天然記念物に指定される。


    「日本桜集」(平凡社刊)出版、解説・大井次三郎博士。


48年 「NHK趣味の園芸」 創刊から4年間 表紙挿画担当


    安達流挿花、小原流などの機関紙表紙挿画など多くの植物画を描き続ける。


    



昭和62年9月  妻 婦美子 没  71歳


昭和63年(1988年)5月5日  東京都国立市にて没  77歳

〜自宅の庭の太田桜の咲き始めるころ〜

翌年 1月8日 昭和が終わり、元号が平成に。


主な著書・共著

原色日本林業樹木図鑑(地球社)

原色日本のラン(誠文堂新光社)

原色図譜園芸植物(平凡社)

原色植物百鑑(集英社)

日本桜集(平凡社)

画文集・花の肖像(講談社)3部

さくら(日本書籍)

平凡社の園芸植物の本・第一期・10冊

太田洋愛画集(講談社)3部

他、NHK趣味の園芸テキスト表紙 等 多数



最新書籍

    太田洋愛 百桜図 美術書   Yoai Ohta  SAKURA Botanical Art

                  桜120点 2009年出版



    太田洋愛画伯 書籍(百桜図)      ボタニカルアート桜 額装仕上げ

             桜ポストカード


    ボタニカルアートの魅力/作品・教室ご案内 太田洋愛先生愛弟子

            杉崎ボタニカルアート美術館


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